◆ 星 の 見 る 夢 ◆
1話 逸走
この世界には遠い、遠い昔から言い伝えられている神話がある。
だが、その神話を今もまだ確実に覚えているという人は数少ない―…。
私もそのひとりだ。
この華蝶鵬王国の城に勤め始めて、
私はその神話を何回か聞かされてきたが、
話し手によって内容は多少異なっていて、真相は定かでなくなってきている。
そう―…。
それは本や古代の石版などに書いてあったことなどではなく、
所詮、根拠のない"
むかし、この世界にはある一人の人間しか存在していなかった。
その人間は一人でいることに退屈を覚え、
眠って毎日を過ごすことにした。
その眠りの中で人間は夢を見て、様々な世界を描いていった。
海もあって山もあって土地は広くて、多くの種族が共存している。
人々は、畑を耕し家畜を飼育して生計をたてて過ごす―…。
争いのない、不満のない、平和な世界をその人間はどんどん夢の中で描いていった。
やがてその夢は一人歩きを始めて、
今私たちが存在している世界<
神話の基本はこのような内容である。
人の見た夢がいまの現実世界になっている、だと?
全くの御伽話で、さすがわざわざ本に記すまでもない物語である。いや、童話だ。
なぜこんなにも、神話をけなしてかかるのかというと、
そもそものこの星の起源は、
昔の偉人が粒子だか爆発だか、
何だかの話をして様々な著書を出し、論理的に結論づけられているからだ。
だが、こんな馬鹿らしい御伽話でも細々と語り継がれているのには、
この話にまだ続きがあるからだ。
眠り続けるその人間は、
次第に眠ること自体にも不満を覚えてきた。
夢は一人歩きを始め、自分ひとりをおいて楽しそうにしているのが気に食わなかったからだ。
一人歩きする夢の中で、ある一人の美しい女性が言った。
「神様、夢を見るのを止めないでください。
あなたが目覚めてしまうと、私たちの世界は終わってしまいます。」
なんて自分勝手だと思った人間だったが、
自分を神と崇めるその美しい女性が、あまりにも泣いて請うのでついに折れてしまった。
「分かった。お前の言うとおりに私は夢を見続けよう。
しかし、条件がある。
私に言うことを聞かせたお前はこれからもこの世界で生き続けるのだ。
お前が死んだその時が、私が夢を見るのを止める時だ。」
そうしてその人間は、目印として女性の左目を紫色に変えてしまった。
有創の人々は世界を存続するための"鍵"であるその女性を王族にして崇め、
城を建てて、殺されてしまったり疫病にかからないように…特別な庵を作って閉じ込めた。
以来、その女性の左目が紫色である子孫は"鍵"と見なされ、
死んでしまわないように、庵へ閉じ込められている。
ここまでが神話と呼ばれる御伽話の全てである。
"神様"であるその人間は、
なんて怠惰で欲深いのだろうか。
これらは、全てが"言い伝え"で曖昧な神話に過ぎない。
神話を知らない者は、星の起源など昔の偉人が記した著書によるんだと思って気にもかけていない。
しかし、確かなことがひとつだけある。
王族として崇められることになった物語の中の女性は、
ここ「華蝶鵬大陸」の生まれであったそうだ。
そのために、ここには"鍵"があるのだ。
そう、紫色の左目をもつ女性が。
遠くで、赤ん坊の産声が聞こえる。
新しい命を喜ぶ声は聞こえない。
ああ、また産まれたのか―…。
今となっては"鍵"ではなく、
神話による"被害者"と呼ばれる、紫色の左目を持つ者が。
◆◇◆
午前0時を回った。日付が、変わる。
遠い昔から伝えられてきた神話によって、この庵の中に閉じ込められている彼女は、
鏡の前に座り自分の姿を見つめた。
16になった自分は、相変わらずの生気のない瞳、
手入れをしていない伸びきった髪と痩せこけた頬で見るも無残である。
そんな姿を遮断しようと、鏡に布を下ろす。
だが、その寸前でまた布を捲って、今度は自分の瞳と向かい合った。
左右の色が違う、瞳。
これが全てを狂わせているのだと思うと、彼女の心の中には闇がうまれた。
布を思い切り鏡に下ろし、立ち上がる。
時計の長い針は、0時5分を刻んでいる。
7分から10分の間は、裏口の門番が交代をする時間である。
本来なら、0時ちょうどに代わりの門番がやってきて、その場で交代をするのだが、
その交代をしにやってくるはずの門番はどうやら寝坊癖が直らないらしく、
わざわざ起こしに場所を空けないとならないらしい。
その空いた3分間を狙って、 外に出る。
この時間帯は護衛役のロナもやってこない。
ここ何週間かを費やしてたてた計画を、今が実行する時である。
16になった私は、ここを逃げ出して、生まれ変ってみせるんだ。
彼女はそう意気込んだ。
長い針が7分を刻む。
ドアは外側から鍵がかけらていて出られないので、
空気の入れ替えの為に空いている小さな窓から外を偵察する。
特に人の気配は無いようだったので、窓を開けて静かに庵を出た。
あとは、裏口まで走るだけだった。
庵の中を歩くぐらいの運動しかしていない彼女にとって、
裏口までの数十メートルを走るのは酷くつらいものですぐに息がきれてしまった。
長い着物を踏んで、転びそうにもなったが
何とかこらえて裏口まで辿り着いた。
幸い、鍵は簡単な仕組みですぐに解くことが出来た。
門は予想外に重くて、彼女の顔は一瞬青ざめたがなんとか自分が出ることの出来るぐらいまで開いた。
門の外へ出る。
音を立てないように、また静かに閉める。
一息ついた。
…誰にも見つかることも無く、成功―…したのだろうか?
考えている余裕は無い。
あとは、ただ、城が見えなくなるぐらい遠く、遠くまで
走るだけだった。
続く