◆ 星 の 見 る 夢 ◆  

 

 

2話 会隅

 

 

 

夾斬(きょうざん)く ーん、そろそろ時間だよー。」

 

皿洗いをする彼に、その店のオーナーらしき人物が壁にかけられた時計を指差しながら微笑む。
夾斬と呼ばれたその赤茶髪の青年は、作業する手をとめて顔を上げた。
短い針は1をさしていて、それは自分が仕事を終わらせなければならない時間だった。

「はーい。じゃあ、この分だけ片付けてからにしまーす。」

夾斬は笑顔で返事をして、残りの皿を再び洗い始めた。
これで今日の、いつもと変わらない一日が終わる―…。

 

 

「それじゃ、お先に失礼しまーす。」
「おつかれー」

周りでまだ働いている人たちに挨拶をしてから店を出て行く。

彼がこの時間に働いていたところは居酒屋で、深夜5時まで営業している。
深夜に働けば働くほど自給は高くなるのだが―…
彼は2つのアルバイトを兼ねていて、早朝ほかの仕事に行かなければならないために深夜1時には終わらせるようにしている。
彼のもう1つのアルバイトは八百屋である。
なぜ夜とは打って変わってそのような地味なところで働いているのかと言うと、それは彼の現在の生活と関係している。

 

彼は元々、ここ華蝶鵬王国の生まれではない。海の向こうにあるマグール大陸という地の小さな村の出身で、華蝶鵬にはお金持ちになるために上京してきたのである。
彼がこの地に立ったのは約1年程前のことで、精一杯稼いで素敵な生活を−…と言った夢で心をいっぱいにしていた彼だったのだが、その油断しているところを早速スリに遭いいきなり無一文へ。空腹で倒れているところを、現在働いている八百屋の娘・ナナキに助けてもらったのだ。

上京して早々スリに遭い、無一文で空腹絶頂、住む場所も無い彼を何とかしてあげたいと思ったナナキは父親であるナジキに彼を紹介した。そこで2人は馬が合い、八百屋と共にアパートも管理していたナジキが、八百屋という仕事 を与え、アパートを貸してくれたのである。
そして現在、2つのアルバイトを兼ねて家賃や生活費を稼ぎつつ、助けてもらったナジキ家に感謝の気持ちとして精一杯働き尽くす生活を送っているのだった。


 

 

「(今日は冷えるなあー…。)」

冷たい風が吹いて、自分から酒の匂いが漂う。むき出しの肌をさすりながら彼は家路へと向かった。
八百屋はアパートの1階にあるのだが、居酒屋は自宅から歩いて10分程かかる所にあった。
早く家へ着いて暖かい布団に潜り込もうと、足を早め始めた。

その時だった。

 

りん りん りん
 

彼の道の前に、ひとつの鈴が音を鳴らして転がってきた。それがころんと転がるのを止めると、彼はそれを拾いまじまじとそれを見た。
ちょうど指の一関節くらいの大きさだった。金色が眩しいくらいに美しく、赤い紐がその金色をさらに引き立たせていた。

「(誰か落としたのか?…)」

りん りん りん

音を鳴らしながら、それを手のひらで転がす。汚れの無いまっすぐな音が、人通りの無い深夜の街に響く。
彼の足は、自然とその鈴が転がってきた方向へと向かっていた。

「(今転がってきたのだから…きっと持ち主がこの先にいる。間違いない!)」

彼は不思議と湧き出る"これを返してあげなければいけない"という義務的な気持ちに導かれ足を早める。

すると、ある狭い路地裏から先ほど手にした金色の鈴と同じような、汚れの無い美しい鈴の音が近づいてきた。
「(やっぱり…、同じ、音…!居た、持ち主だ!!)」
しかし それと同時に、善からぬ企みを組んでいるかのような荒々しい男の声も近づいてきた。

 

 

「おいおい、お嬢ちゃん。いい加減大人しくしたらどうなんだよ?」
「声も出せねぇくせに、無駄に力だけで抵抗したって女が敵う訳無いってわかってんだろ?」
「こんな時間に誰も助けに来ねぇよ。わかったら、大人しく俺らに着いて来いっての!」

その言葉と同時に、どんっと壁を殴ったような大きな音がした。
彼は、眉をひそめながら彼らの死角からこっそりとその様子を覗いてみる。

「……。」

いかにもガラの悪そうな2人の男が、長い茶髪の女性を取り囲んでいる。女性は涙を流して体を震わせつつも、男に掴まれている両腕を一生懸命に振り払おうとしていた。

「(な、何やってんだあいつらは…?!泣いてんじゃねえか!!!)」

「…もう力ずくで連れて行っちまおうぜ。」
「ああ、そうだな。…こんな美人、売りに出したら一体何E(エブル)になるか…。」
この言葉を聞いて、彼は頭のなかで彼女がどのような事態に巻き込まれているのかを連想した。

つまり男達は、金目当てに、女を人間売りに出すらしい。そんな商売は世界中で固く禁じられているのだが、人知れずに存在する闇市場という所ではよく行われている商売らしい。
人間売りに出された者達は、奴隷のように扱われたり愛玩動物のように扱われたりそれは様々であるが、良いものではないのは確かだ。

彼女は泣いて、拒んでいる。
助けてあげないわけにはいかないだろう。

 

「…しっかし、怖くて声も出せねえじゃかわいそうだなあ。」
「ははっ、俺らにとっちゃ好都合だろ。…じゃあそろそろ、大人しくしてもらうか。」

男は鼻で女のことを笑い飛ばすと、ぐっと拳を握って見せた。もう1人の男は、 暴れる女の両腕を掴み、完全に動きを封じた。
女は体をカタカタと震わせながら、ぎゅっと目を閉じた。

「っ…!!」
「安心しなよ、お嬢さん。ちょっと眠ってもらうだけだか―」
「眠んのはテメェだっつーの!!」

その声に反応して、女が目を見開くと、男の背後に、若い青年が飛び掛ってくるのが見えた。 そして、一瞬にして先程まで強く拳を握っていた男が不意に意識を失ったように倒れてしまった。

「なっ…?!…てめぇ何しやがんだ!!!?」
「テメェラこそこんな時間にこんな所で何してやがんだよ!!」

青年はかみつくように、威勢良く言葉を返した。
男はチッと舌打ちをすると、片手は女の首に回し、もう一方の手は腰の刀にかけている。
女は、青年の姿をきちんと確認することも無く その刀が自分に向けられるのではないかという恐怖に再び目を強く瞑り、歯を食いしばった。

「俺の相棒に蹴りをかますなんて良い度胸だなあ、坊主。」
「坊主なんて呼ばれる歳じゃねぇ!!おれの名前は夾斬だっ!!」

青年は男と一定の間合いをとりながら、男をじりじりと壁に追いやっていく。

「はっ。わざわざ名乗るなんて、てめぇ馬鹿か…?おまえの名前を使って、いろいろ悪さをしちまうかもしれねえんだぞ?」

男は静かに刀を抜きながら気味悪く笑った。青年の背後で、先ほどまで倒れていた相棒がぴくりと動きだしたのに気付く。
勝率は自分にある。人質も居れば仲間も居る。相手は武器も手にしていない馬鹿っぽいガキだ。
くく、と笑っていると青年が口を開く。

「いいよ、別に。…すぐに忘れさせてやるから。」
「どうやってだよ?」

 

「そうだなァ。おれのこと、怖くて思い出せなくなるようにしてやるよ。」

 

女は自信に満ちたその言葉にはっと目を開き、青年の姿を初めて確認した。
月光に輝く赤茶色の髪は後頭部で団子にしてまとめてあり、風に揺れるのは団子をまとめるための蒼い紐。
オレンジのような茶色のような、きれいな瞳。
左手にはくすんだ赤色の布が巻かれていて、その腕はわりとがっしりとしていた。
そしてその表情には、"自信"に満ちていた。

「馬鹿なこと言ってんじゃねぇぞクソガキィ!!」

夾斬の背後から、先ほどまで倒れていた男が拳を握り締めて襲い掛かった。その拳には鋼鉄で造られたグローブがはめられている。

彼はそれを背中を向けたままで避けると、伸ばされたその腕をぐっと掴み男を背負い投げた。

ドォン――…!!
男の巨体が、音をたてて地面に投げつけられた。男は「うぅっ」とうめき声をあげると、そのまま動かなくなった。

「なんて奴だ…!!」
自分の体より大きい人間を背負い投げるなんて、この青年には一体どれほどの力があるのだろう。
青年の踏んだガラスの破片が音を鳴らす。その音に、男はびくっと体を一瞬震わせた。そして、ついに女の首元に刃先を向ける。

「…っ!!!!」
「そ…それ以上近づいたら…。わかってるだろうなぁ!?」

男は刃をちらちらと光らせて、夾斬を挑発した。 女は恐怖に耐え切れず、強く瞑った瞳からぽろぽろと大粒の涙を流していた。そんな挑発を無視して、彼は冷静にゆっくりと近づき距離を縮めていく。

「っ来るんじゃねえ!!!!」

男が刀を持つ手にぐっと力をいれ、動かそうとしたその一瞬だった。夾斬は素早くかけより、目にも留まらぬ速さでその手に蹴りをいれた。

「ってぇ!!!」

カラン―…
刀が落ち、地面を滑った。男が痛みに気をとられている隙に、夾斬は女の腕を引っ張り男から引き離すともう一度 今度はその腹に強烈なパンチを喰らわした。
それがヒットしたのか、男はがくんとその場に倒れた。

 

「よし、行くぞ!!」

男たちがまた目覚めて面倒なことにならないように、夾斬はその女の手をしっかり握ると、ぐっと引っ張りその場から走り出した。

 

 

「――…はぁはぁ…、これだけ離れれば、暫くは大丈夫だろ。」


夾斬は、ふぅと一息ついて女のほうを振り向いた。女は下を向いたまま荒い呼吸をし、なんとか気を落ち着かせようともしているが握っている手から微かに震えが伝わってくる。
それが、先程まで味わされていた恐怖の余韻なのか それとも目の前の青年に対する恐れなのか彼にはわからなかった。
彼はなんとか安心させようと、その女の手を両手で包み込むようにして、強く握った。

「ごめんな、いきなり走ったりして…。辛かったよな?で、でも、またあいつらが起きたら面倒だから…。あ、大丈夫だよ殺してなんかねえからな!ちょーっと、気を失わせただけで…。」

彼はわたわたと言葉を並べ、 冗談めかしにははっと笑って見せた。
それを聞いた女の震えは少しだけ収まった気がした。
とりあえず、彼女をもっと安心させようと話を続ける。

「ところで、あんたは?…怪我とか、してないか?」

改めてよく見ると、女は泥だらけだった。
彼女はなんとか呼吸を落ち着かせることができたようで、そこで初めて顔を上げ、夾斬と目が合う。

風にサラサラと揺れる長い茶色の髪はぼさぼさで、いかにも高価そうな着物は泥でだいぶ汚れている。
顔にも泥が目立ったが、そんなもの気にならないくらいの美しい顔立ちだった。しかしまだ幼さが残っていて、自分よりは年下だろうと夾斬は感じた。
そして彼女がまとうオーラは 貴族のように、美しく気高く、品があった。
ひとつ気になったのは、左右の瞳の色が違うこと。この女は、右が茶色で左が紫という不思議な目をしている。
紫の瞳なんて、彼は見たことがなく とても驚いたがもっと驚いたのは、その瞳に"光"が少しも見えないことだった。

「……。」
女はこくりと頷いて、間を置いてから、夾斬が包んでくれた手を優しく離すと、今度は深々と頭を下げた。
おおかた「助けてくれてありがとう」という意味であろうと受け取った夾斬は、にこっと笑って返した。
「どういたしまして。まあ、怪我とかはしていないなら良かったよ。それと、急に引っ張ったりして悪かったな。」
よくよく見ると何とも動きづらそうな丈の長い着物で、いきなり走り出したりして相当辛かったろうと思い、謝罪の言葉も添えた。苦笑いしながら、無意識に左のポケットに手をつっこむと、『りん』と音が響き、彼は思い出したかのようにそれを取り出した。
「そうだ、危ねぇ忘れてた!これ転がってきたのを拾って…返そうと思ってたんだ。」
「…!!」

女はそれを見たとたんに目を見開いて、それを奪うようにして夾斬から受け取った。 そしてぎゅっと握り締め、胸に抱えた。
相当大事なものだったのだろうと見受けた彼は、返してあげることができて本当に良かったと安心し、不思議と笑みをこぼしていた。

「…じゃあ、おれ きみの家まで送るよ。また物騒なことに絡まれたら嫌だろ?あんた、どこに住んでんだ?」

女は、一瞬こちらを向いたがすぐに下を向いて困った顔をした。時々あたりをきょろきょろと見回したり、明らかに動揺している。
そこで夾斬は、先程から気になっていたことを口にした。

「あの…あんたさ、さっきから一言も喋らないけど…。」
「…。」
「もしかして…喋れない病気、とかなのか?」
「………。」

女は、暫く間をとってから申し訳なさそうにこくりと頷いた。夾斬は"参ったな"という顔をして、どうするかを考えていた。
「(それじゃあどうやって会話しよう。紙とペン…、今は持ってないな。)」
すると女は、突然にぺこりと礼をして背を向けると独りで歩き出した。

「ちょ、どこいくんだよ…!!家に帰るのか?」
ぴたりと足を止め、振り向くと女は 暗い顔を横に振った。
「じゃあどこに…?」
女は小さく首をかしげた。そして、また困った顔をする。

夾斬はまた暫く考えたが、もう1つの考えしか浮かび上がってこなかった。

 

「じゃあ…もしかして…、家出少女か?!!」

これで彼女が首を縦に振ったら自分は彼女を保護しなければならないのだろうか。はたまた 警察に連れて行ってあげなければならないのか…。そう考えると、彼女が首を横に振ればいい!!と強く願った。

 

…しかしそのような願いも届かず、彼女はまた申し訳なさそうに首を縦に振った。

 

 

続く